マルコ・ポーロ『東方見聞録』、金歯の人々が住むとされた地域は?旅の記録に残る歯の文化|歯の雑学 713 #クイズ #歯科 #雑学 #豆知識
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マルコ・ポーロは、13世紀のヴェネツィア商人・旅行者で、『東方見聞録』によってヨーロッパにアジア世界の情報を広く伝えた人物です。
ただし、彼自身が本を書いたというより、帰国後に獄中で語った体験を、作家ルスティケロ・ダ・ピサが物語風にまとめたものとされています。
① 生没年と出身
マルコ・ポーロは、1254年ごろ、イタリアのヴェネツィア共和国に生まれました。
ヴェネツィアは当時、地中海交易で栄えた商業都市国家です。
父ニコロ・ポーロと叔父マフェオ・ポーロは商人で、すでに東方交易に関わっていました。
マルコがまだ若いころ、父と叔父はモンゴル帝国の支配圏まで旅をしており、その経験がマルコの大旅行につながります。
② なぜ東方へ旅したのか
父ニコロと叔父マフェオは、以前の東方旅行でモンゴル帝国の皇帝フビライ・ハーンに会ったとされます。
フビライは西方世界、特にキリスト教世界に関心を持ち、ローマ教皇への使節を望んだと伝えられます。
その後、ニコロとマフェオは再び東方へ向かうことになり、この時に若いマルコ・ポーロも同行しました。
出発は1271年ごろ、マルコは17歳前後だったとされます。
③ 旅のルート
マルコ・ポーロ一行は、ヴェネツィアから地中海東部へ向かい、現在のトルコ、イラン、中央アジア方面を通って、中国方面へ進んだとされます。
大まかなルートは次のように説明できます。
・ヴェネツィア
・地中海東部
・中東、ペルシア方面
・中央アジア
・パミール高原周辺
・タクラマカン砂漠周辺
・中国西部
・元の都、大都=現在の北京付近
当時は「シルクロード」と呼ばれる東西交易路がありました。
ただし、現在のように一本道があったわけではなく、複数の陸路・オアシス都市・交易網の総称です。
④ フビライ・ハーンとの関係
マルコ・ポーロが到着した中国は、漢民族の王朝ではなく、モンゴル人が建てた元の時代でした。
皇帝はチンギス・ハーンの孫であるフビライ・ハーンです。
『東方見聞録』では、マルコ・ポーロはフビライに気に入られ、各地へ派遣される役人・使者のような役割を果たしたと語られます。
彼は中国各地、雲南、チベット周辺、ビルマ方面、江南地方などを見聞したとされます。
ただし、どこまでが実体験で、どこからが伝聞かは、現在でも議論があります。
⑤ マルコ・ポーロが見た「元」の中国
マルコ・ポーロの記録で特に有名なのは、当時の中国の豊かさです。
・大都、現在の北京周辺の大都市
・杭州の繁栄
・運河や水運
・紙幣の使用
・石炭の利用
・郵便・駅伝制度
・巨大な市場
・絹、香辛料、陶磁器などの交易品
ヨーロッパ人にとって、とくに驚きだったのは紙幣です。
金属貨幣が中心だったヨーロッパに対し、元では紙のお金が国家権力によって流通していたと紹介されました。
また、石炭についても「燃える黒い石」のように紹介され、西洋読者に強い印象を与えました。
⑥ 帰国
マルコ・ポーロ一行は、長くフビライ・ハーンのもとに滞在した後、1290年代に帰国の途についたとされます。
帰路は陸路ではなく、海路でした。
モンゴルの王女をペルシア方面へ送る使節団に加わり、中国南部から船で出発したとされます。
ルートはおおよそ、
・中国南部
・東南アジア
・インド洋
・スリランカ、インド周辺
・ペルシア方面
・地中海世界
・ヴェネツィア
という形です。
ヴェネツィアへ戻ったのは1295年ごろとされます。
出発から帰国まで、約24年に及ぶ大旅行でした。
⑦ 『東方見聞録』はどう生まれたか
帰国後、マルコ・ポーロはヴェネツィアとジェノヴァの戦争に巻き込まれ、捕虜となってジェノヴァの牢獄に入れられたとされます。
そこで同じく囚人だったルスティケロ・ダ・ピサに、自分の旅の体験を語りました。
ルスティケロは騎士物語などを書いた作家で、その語りを文学的にまとめたものが『東方見聞録』です。
原題は写本によって異なりますが、よく知られる題名に『世界の記述』があります。
日本では『東方見聞録』という題名で定着しています。
⑧ 『東方見聞録』の特徴
『東方見聞録』は、現代の旅行記のように日記形式で正確に日付を追う本ではありません。
むしろ、各地の都市、産物、風俗、政治、宗教、交易品などを紹介する地理・民族誌・商業情報の本に近いものです。
内容には次のような特徴があります。
・地名が中世ヨーロッパ風に表記されている
・伝聞情報も含まれている
・実際の観察と噂話が混在している
・商人らしく、産物や交易品への関心が強い
・フビライ・ハーンとモンゴル帝国をかなり高く評価している
そのため、すべてをそのまま事実として読むのではなく、「13世紀ヨーロッパ人がアジアをどう理解したか」という資料として読む必要があります。
⑨ 本当に中国へ行ったのかという議論
マルコ・ポーロについては、「本当に中国へ行ったのか」という疑問も昔からあります。
疑問視される理由としては、
・万里の長城について明確な記述がない
・漢字や茶についての説明が乏しい
・中国側の記録にマルコ・ポーロの名がはっきり出てこない
・一部の記述に誇張や伝聞がある
といった点が挙げられます。
一方で、彼の記述には、当時の元代中国やモンゴル帝国の制度をかなり正確に反映している部分も多くあります。
そのため現在では、「中国へ行った可能性は高いが、記述のすべてが本人の直接体験とは限らない」という見方が比較的バランスのよい理解です。
⑩ ヨーロッパへの影響
マルコ・ポーロの本は、ヨーロッパ人にアジアへの強い関心を持たせました。
特に影響を受けた人物として、クリストファー・コロンブスがよく挙げられます。
コロンブスはアジアへ到達することを目指して大西洋を西へ進みました。
その背景には、マルコ・ポーロが伝えた「東方の豊かな国々」への憧れがありました。
つまり、マルコ・ポーロの記録は、後の大航海時代にも影響を与えたといえます。
⑪ マルコ・ポーロの晩年
マルコ・ポーロはヴェネツィアに戻った後、商人として暮らしました。
1324年に亡くなったとされます。
有名な逸話として、死の間際に「自分の話は嘘ではないか」と問われた時、
「私は見たことの半分も語っていない」
という趣旨の言葉を残したと伝えられます。
ただし、この言葉自体も後世の伝説的要素が強く、厳密な史実としては注意が必要です。
⑫ まとめ
マルコ・ポーロは、単なる冒険家ではなく、商人、観察者、情報伝達者でした。
彼の重要性は、「ヨーロッパ人として初めてアジアへ行った」ことではありません。
実際には、彼以前にも東西を往来した商人や宣教師はいました。
重要なのは、彼の体験が『東方見聞録』という形で広く読まれ、ヨーロッパ人のアジア観に大きな影響を与えたことです。
短く言えば、
マルコ・ポーロは、13世紀のヴェネツィア商人で、若いころ父と叔父に同行してモンゴル帝国支配下の中国へ旅し、フビライ・ハーンの宮廷やアジア各地の情報をヨーロッパに伝えた人物です。彼の『東方見聞録』は、事実・伝聞・誇張が混ざる一方で、ヨーロッパに東方世界への強い関心を生み、大航海時代への想像力にも影響を与えました。
マルコ・ポーロの金歯に関する記載は、『東方見聞録』の「Zardandan(ザルダンダン)の地方」について述べた章に出てきます。
該当部分の内容を、歯科雑学として分かりやすく訳すと次のようになります。
「カラジャンを出て西へ五日進むと、ザルダンダンという地方に着く。人々は偶像崇拝者で、大ハーンに従っている。中心都市はヴォチャンと呼ばれる。この国の人々は皆、歯を金で飾っている。正確に言えば、男たちは上下の歯にぴったり合うように作った金の覆いを歯にかぶせている。これは男が行うもので、女は行わない。」
原文の英訳では、次のような内容です。
「The people of this country all have their teeth gilt; or rather every man covers his teeth with a sort of golden case made to fit them, both the upper teeth and the under. The men do this, but not the women.」
つまり、マルコ・ポーロは「歯そのものが金でできていた」と書いたのではなく、「上下の歯に合う金製のケース、覆い、カバーのようなものを装着していた」と記録しています。現代歯科でいう金冠・クラウンというより、歯列を覆う装飾用の金属カバーに近い描写です。
また、注釈では「Zardandan」という名前自体がペルシア語の「Zăr-dandán」、つまり「Gold-Teeth=金の歯」を意味すると説明されています。さらにラシードゥッディーンの記録として、「この人々は歯を金のケースで覆い、食事の時にはそれを外す」と紹介されています。
重要な点は、これは虫歯治療としての金歯ではなく、地域的・民族的な身体装飾としての金歯だった可能性が高いことです。
整理すると、マルコ・ポーロの記載内容は以下です。
① 場所
現在の中国・雲南省西部付近と考えられる「Zardandan」という地方。
② 名称
Zardandan は「金の歯」を意味する名前とされる。
③ 金歯の形
歯に金を埋め込んだのではなく、上下の歯に合わせた金製の覆い・ケースをかぶせていた。
④ 装着者
マルコ・ポーロ本文では「男性が行い、女性は行わない」とされる。ただし注釈では、別系統のラムージオ版では男女ともに使用したとする異同も紹介されています。
⑤ 食事時の扱い
注釈に引用された別記録では、食事の時には金のケースを外したとされています。
⑥ 歯科的な意味
治療用の金歯ではなく、「歯を金で飾る習慣」「身分や美意識を示す装飾」と考えるのが自然です。
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